DYLAN CRAMER

DYLAN CRAMER
1977年だったか、どうか忘れてしまったがソニー・クリスが初来日する予定があった。当時大阪でも来日公演が組まれていてFM大阪で宣伝が繰り返し放送されていた。当時高校生だった私は、観に行きたいのだが、行けない(金銭的理由)チケットを買えないことで悶々としていた事を覚えている。
そして、あの事件が起こった。
来日中止。 理由は後で知った。ラジオでは確か発表されなかったと思う。
たぶんスイングジャーナルかなんかで知ったのだろう。
ピストル自殺。 
後年、これにはいろんな説がでていて他殺説もささやかれている。
ソニー・クリス自身は来日を本当に楽しみにしていて、日本に来たら4ビートのJAZZが演奏できる事を心待ちにしていたそうだ。
警察がちゃんと捜査せずに自殺で処理してしまった線が濃厚のようだ。
どちらにせよ来日まで後何日かでソニー・クリスはこの世を去った。

大学時代、ソニー・クリスはジャズ喫茶でのなごみ盤だった。チェンジ・オブ・ペース。 新譜やフュージョン、電化マイルスにコルトレーンそんな中でソニー・クリスのアルトサックスはいつもの調子で朗々とそして朴訥と鳴っていた。
ジャズ喫茶のほの暗い空間が場末の一杯飲み屋に変化した。
ブラックコーヒーがコップにはいった冷酒に変わった。
ド演歌、ど哀愁、ジャズのある意味斜に構えた、そしてすこしスノッブで気取ったところをあっさりと消し去ったあまりにも直情的なジャズ。

そんなソニー・クリスのジャズを誰もが愛していたと思う。
あからさまに嫌悪の念でレシートをつかんで出て行った人はいなかった。
キース・ジャレットのピアノソロの後にソニークリスがかかっても皆タバコを燻らせながらレコードを聴き続けた。
SATURDAY MORNING, TIN TIN DEO, パレードに雨を降らさないで、サマータイム、
柳よ泣いておくれ、ブラックコーヒー、サニー、アイル・キャッチ・ザ・サン・・

20年の歳月が経ち、ソニー・クリスに再開したのだ。
1997年4月8日 吹き込みの新譜で・・・

幽霊ではない。
ソニー・クリスの生き写しディラン・クレイマーという若手アルト奏者の初リーダー作によって・・・
このCDはスイングジャーナルの広告ページをペラペラめくっていて福岡の「キャットフィッシュレコード」の広告欄で偶然見つけて手にいれた。
DYRAN CRAMEはソニー・クリスから8ヶ月間、突然の死が訪れるまで、教えを受け、
その時に一緒に過ごした日々はディランの音楽性にもっとも重要で大切な影響を受けたと回述している。
昔からのソニークリスの音楽仲間であるリロイ・ビネガーが音頭をとってソニーの音楽の20THアニバーサリーが実現した次第である。

ディラン・クレイマー自身のアルトプレイはなるほど本人から直接教えを請っただけあって、ブラインドで聴いたらほとんどソニー・クリスに間違うのではなかろうか? 反面、独創性、オリジナリティーにかけるのは確かだが、心底ソニー・クリスに心酔しきっているディランの音楽性がありのままでた一作として最高の自分を表現できた作品として評価しても良いと思う。
こういうジャズがあってもいいと思う。

この後もディラン・クレイマーはNAGEL HEYERから2作目、3作目をリリースしており、そこには、ソニー・クリスのプレイが残っていない曲が多くプレイされている。もちろんクリスのマナーで・・・ESTATE,STOLEN MOMENTS,EUROPE,SO WHATなんかが・・・




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